BRAVE 〜AIネイティブ世代が考える、エンジニアの未来|第4話 人生、空回りまくり編Part1〜
投稿日: 2025年06月29日
では、WEB制作会社が運営しているプログラミングスクールへの入会を決めたところまでお話しさせていただきました。
宇都宮に戻ったあと、大学2年生の前期が始まると同時に、まずはProgateのHTMLとCSSから始めることになりました。
パソコンでログインし、早速進めてみると…
めっちゃ簡単じゃね???
自分は大学でC言語もやっていたので、行列計算やポインタなど(今はもう覚えてない)を学び、西暦と日付を入力したら(例えば2045年1月1日)は何曜日かわかるみたいな
コードを書いたり、ラジコンを操作するコードを書いたりしていたので
それに比べるとびっくりするくらい簡単でした。
余裕だな〜と思ってどんどん進め、大学の授業中もProgateをやったり、模写コーディングをやっていたりしました。↓
順調に進んでいたのですが、ここで最初の壁が。
授業や面談の時間に起きれない・起きてても飛ばしちゃう
です。
え?それ人としてどうなの?ていうレベルなのですが、大学生なんてこんなもんです。
授業なんてゲームやりながら受けてたし、当たり前のように落単しない回数は絶対欠席してたので、そもそも準備した上で時間に間に合う、ようなことが全くできませんでした。
それに加えて、自分が当時アルバイトしていた居酒屋は個人経営の小さいところで
繁華街も近かったので、AM3:00~4:00ぐらいまでの営業は当たり前でした。
加えて、規模がかなり小さかったこともあり、店長の付き合いのために訳のわからんクラブやラウンジみたいなとこに営業後にも連れて行かれたりしてました(ぶっちゃけ楽しみだったけど)。
それもあってか、朝5時に家に帰るのが全然普通で、午前中は全く起きれませんでした。
当時通っていたスクールには週1の授業とは別に、週1で15~30分程度、講師とは別のスクールの人とお話しする「面談」というものがありました。
自分は社長達と直接会ったこともあって集客の業務もやったりすことになっており、特別に副社長が面談をしてくださることになっていたのですが…
何回もすっぽかしました。
(超絶忙しいディレクター業もやっていた中で時間をとってくれていたので、
相当やばいことしてたな、と今では思っています)
また、学年が上がってクラスも変わり、後輩もでき、新しい出会いが増えていく中で周りはどんどん彼女を作っていきました。
取り残された自分は、この頃恋愛周りで変にメンタルを揺さぶられていました。
そんなこともあってか、案の定、学習は全く進まず。
社会人の方々と違って、大学生で大量に時間はあったにもかかわらず、
4月から7月の3ヶ月でHTMLとCSS、jQueryしか終わりませんでした。
しかも終わったとは言っても、
デザインカンプからのコーディング経験はなし(模写コーディングのみ)。
8月の最初まで大学があり、その後にSass(Scss)を学んだのを覚えています。
正直、月5万×10回も払ってまで何をしてるんだ自分はと思っていました。
古着やSwitchを売ってまで、おままごとをしている現実。
当時、XやスクールのSlackを見ていると、挫折してしまっている人がいるな、と思っていました。
自分はこうなりたくない。
何かを変えなければと思いつつも、どうすればいいか分からない毎日。
とあるタイミングで、高校の同級生同士でROCK IN JAPANという夏フェスに行くことになりました。
同級生のうちの一人が、東京で家を借りていることが判明し彼の家に前泊することになりました。
そこに電車で向かうと…
あれ、これ制作会社のオフィスから近くね???
ということを知りました。
家から駅まで徒歩10分、電車で大体20分。夏休みは友達の家に居候して、
毎日WEB制作会社のオフィスに通うことを決心しました。
まだスクールのカリキュラムが終わっていなかったので、すぐに仕事をいただけるというわけではなかったのですが、直感で、あの社長達と毎日顔を合わせながら学習すればすぐに成長できると思いました。
自分と同時期に、友人Yの誘いで営業のインターンもしていた友人Iも親戚の家に泊まりながらオフィスに通うこととなり、2人で通うこととなりました。
毎日、WEBディレクターもやっている副社長の仕事ぶりを見ていると、
自分は「WEB制作の仕事」をナメていたんだと思いました。
電話クレーム対応、ディレクション、深夜まで続く炎上の消化活動、スクールの契約作業、面談、エンジニアやディレクターとのMTG、新規案件のMTG などなど。
ご飯を買ってきても食べられるのは大体3時間後。
終業後は社長含めみんなでゲームをして帰るみたいな文化があったのですが、副社長だけは途中で抜けて仕事してました。
自分は、スタバでのんびりパソコンカタカタをWEB制作の仕事に求めていたわけではありません。
19歳の大学生でも、社会人並み、それ以上の収入を稼ぐことに強い興味があり、
ひたすらに吸収しようとしていました。
せめて同じくらい仕事しないと、と思い20:00に家に帰っても24:00まで仕事、日曜日も普通に仕事してました。
こんなにがむしゃらにやっているのだから、数十万なんてすぐに稼げるんじゃないか、と思っていました。
でも現実は甘くありませんでした。
そもそもの仕事力、というものが自分には欠如していました。
納期に間に合わせるためにはなんでもする、分からないことがあればすぐに質問する、
簡潔かつわかりやすい文章にする、事実と感想を切り分ける、などなど…
あと顔もいっつも不貞腐れてるし、ため息が多すぎてうざいって言われました笑
当時ため息1回につき500円の罰ゲームがあり、3000円ぐらい払いました。
今でも罰ゲームが一番人を動かすことができると信じています。
また、この頃は迷走しており様々な仕事に手を出しては何も結果が出ないという日々の繰り返して…
不義理となるようなことをしてしまい、激詰めを喰らいました。
つづく