BRAVE 〜AIネイティブ世代が考える、エンジニアの未来|第2話〜
投稿日: 2025年06月17日
第1話の続きです。
第1話はこちらから。
第2話は、エンジニアと全然関係ないので読まなくても全然大丈夫ですw
僕の過去に興味がある方だけ読んでいただけたら嬉しいです。
WEB制作スクールのインターンとして、採用していただいたというところまでお話しました。
せっかくなので、YouTubeでは尺の問題で話せなかったこともBRAVEシリーズ(笑)
では話していこうと思います。
自分は大学2年生の4月からWEB制作を始めました。
一応、そこまでの人生を端的に。
と思ったけど長くなりました。
茨城県水戸市で生まれる
幼稚園、小学校、中学校は地元の公立(幼稚園と小学校は家から徒歩30秒)
小4で野球を始め、中学は野球部へ。自分は日本代表のエースになると信じて疑わなかったが、最後の大会は市予選の2回戦で敗退。それまでの大会はぜんぶ初戦敗退。
受験勉強開始するも、小学生時代の進研ゼミ貯金だけで戦ってきたので、全く成績上がらず。というか勉強方法わからん。
高校は、公立では珍しい中高一貫校に高入(エスカレーターではなく高校から)組として
入学。案の定、最初のテストで240人中231位で絶望。
ハイキューに憧れてバレー部に入る。
ベンチガーディアンのポジションを獲得(ただの補欠)。
その辺にあるような、県立の自称進学校なのに、英語の特進クラスの先生だけは
なぜか元ラ・サール学園(東大、京大を50人以上輩出)。
この人についていけば東大行けるんじゃね?と思って、
言われたこと全部実践して英語だけ勉強。
高校2年のはじめに、コロナパンデミックで休校になる。
あつまれ動物の森に3日で飽きたので、仕方なく英語の勉強だけ継続。
結果、英語だけ偏差値80、共通テスト(旧センター試験)模試も100点をとる。
でもそれ以外の科目は偏差値30~40を叩き出し、
バレー部の先輩マネージャーの間で
「あおやぎくんは日系ブラジル人🇧🇷」という噂が広がる。純ジャパです。
インターステラーというSF映画を見て、当時文系クラスで理数科目は偏差値30代だったくせに、理転(文系→理系になること)を決意。学校側は認めてくれず、全て独学することに。
独学でうまくいくわけもなく、結局理数系科目は目も当てられない点数のまま、
共通テストを受験。
ここで、人生最初のラッキーを引き当てる。
なんと僕が受けた年の数学・化学の平均点は40点代というとてつもない難しさ。
自分は文系科目が得意だったので、苦手教科で平均ぐらい、文系教科でいい点数をとることができ、田舎の国公立大学ならA判定だった。
もう少しレベルが高い大学が第一志望だったものの、こんなラッキーはもう無いし
受験勉強が地獄すぎて絶対に浪人したくなかったので、
「一人暮らしができる・東京に比較的近い・A判定」
の3つの条件に当てはまった宇都宮大学工学部を受験し、無事合格。
大学入学後、遊びまくる。
高校までは1.5軍のおとなしめキャラみたいな立ち位置だった。
なぜか1軍に気に入られてサークルや飲み会(ノンアルだよ?ノンアル。ね?)
など色々顔を出し、ドライブや旅行、パチンコ、恋愛、バンドのライブなど、
大学生っぽいことを一通りこなす。
大学1年生最後のテストが終わり、友人の中でもダントツの行動力を持つ友人Yと
回転寿司を食べながら、ふと口にした言葉…
なんかもうやることなくね??
いやそれな。
(自分)なんか面白いことないの?最近なにやってるん?
(友人Y)最近さ、俺あんまり出没してなくね?
(自分)たしかに。なんで?
(友人Y)いや実はさ、去年の夏ぐらいから…
(自分) (ん、コイツついにマルチに手出したんか…?????)
続く。